【Weld Quay】貿易港として栄えた場所に作られたペナンのウェルドキー

埋め立て地として作られたペナンのWeld Quay(ウェルドキー)

イギリスによる統治時代に、交易の中心地として栄えた歴史を持つマレーシアのペナン島。

ジョージタウンのWeld Quay(ウェルドキー)は、ペナン港の歴史と発展に密接に関わる場所になります。

目次

ペナンのWeld Quay(ウェルドキー)とは?

ペナンのWeld Quay(ウェルドキー)

ペナン島の港や埠頭の近く、島の東海岸線に沿いに作られたWeld Quay(ウェルドキー)

Weld Quay(ウェルドキー)のWeldという言葉は、1880年〜1887年まで海峡植民地知事として在職していたFrederick Weld(フレデリック・ウェルド)の名前が由来になっています。

埋め立てをして作られた場所

Weld Quay(ウェルドキー)が作られたのは、19世紀後半の1880年代

1883年〜1889年にかけて行われた埋め立てプロジェクトにより作られた場所になります。

その背景には、自由貿易港としてのペナン港の急速な発展が関わっていて、商業活動スペースを拡大するために、埋め立てて作られたものがWeld Quay(ウェルドキー)です。

Weld Quay(ウェルドキー)が完成すると、そこに多くの倉庫埠頭が建設されました。

元々は海だった場所

ペナンのジョージタウン中心部に、Beach Street(ビーチストリート)と呼ばれる大通りがあります。

ビーチストリートは、1786年にフランシス・ライトがペナンを獲得した直後に作られた道路で、ジョージタウンのなかでも古い道路になります。

Weld Quay(ウェルドキー)とBeach Street(ビーチストリート)の位置関係を示す地図

埋め立てプロジェクトが開始される前は、海岸線がビーチストリート周辺にあったことが、Beach Street(ビーチストリート)の由来になっています。

ビーチストリートから海岸線を押し上げるように拡大して作られたエリアがWeld Quay(ウェルドキー)になります。

ビーチストリートは商業と金融業の中心地であったため、このエリアにはChartered Bank of India, Australia and China(現在のスタンダードチャータード銀行)をはじめ、数々の銀行が置かれ、現在も数多くの大手銀行の建物が立ち並ぶ金融エリアになっています。

Weld Quay(ウェルドキー)にある建物やスポット

ペナンのWeld Quay(ウェルドキー)にある建物

1786年に自由貿易港として開港して以来、急速に発展したペナン港ですが、シンガポールの台頭とともに、中継港としての地位を奪われることになります。

しかしながら、Weld Quay(ウェルドキー)には、数々の埠頭のほか、経済的に繁栄していた時代に作られた歴史的建築物があります。

バス&フェリー乗り場

ペナンのWeld Quay(ウェルドキー)にあるバスターミナル
Weld Quay Bus and Ferry Terminals

Weld Quay(ウェルドキー)にあるバスターミナル&フェリー乗り場

北部には、クルーズ船などの大型船用の埠頭であるSwettenham Pierがあります。

島と半島側を繋ぐ橋(ペナンブリッジ)ができる前は、フェリーが島の入口として、交通の要であったことを意味します。

クランジェッティー

ペナンのWeld Quay(ウェルドキー)にあるLim Jetty(リムジェッティー)
姓林橋(Lim Jetty)

Weld Quay(ウェルドキー)には、クランジェッティーがあることでも知られています。

ペナンのWeld Quay(ウェルドキー)にあるクランジェッティー

ペナンが貿易港として発展していた時代に、中国からペナンに移り住んだ港で働く中華系の人々のために作られた水上の集合住宅クランジェッティーになります。

クランジェッティーは、ペナン港の発展とWeld Quayが建設された歴史的背景に密接に関わっています。

Wisma Kastam(旧Federated Malay States Railways Station)

ペナンのWisma Kastam(旧Malayan Railway building Penang)の駅

Weld Quay(ウェルドキー)にあるWisma Kastam

The Federated Malay States Railways(FMSR)の駅&オフィスとして作られた建物で、ここで切符の販売などをしていました。

*FMSRはのちのマレー鉄道(Malayan Railways)になります。

ただ、鉄道の駅はマレー半島側のButterworth(バタワース)にあったことから、実際にこの建物まで鉄道の路線が通っていたわけではなく、この建物で切符を購入し、ペナン島からフェリーに乗ってバタワースまで行き、そこから電車に乗る…という形で利用されていました。

1907年にペナンのWeld Quayに作られたMalayan Railway building Penangの駅の建物

時計台を備えるWisma Kastam。

建物には1907年という文字が刻まれていますが、実際に完成したのは1909年だと言われています。

現在は、ペナンのRoyal Malaysian Customs Department(マレー語の名称はWisma Kastam)の事務所として使われてます。

Wisma Yeap Chor Ee

Wisma Yeap Chor Ee

ヨーロッパ調の建築物のWisma Yeap Chor Ee

ペナンの富豪であったYeah Chor Eeによって、1922年に作られた建物になります。

10代の頃に中国・福建省からペナンに渡ってきたYeah Chor Eeは、様々なビジネスを通じて富を築き上げた人物として知られています。

まとめ

ペナンの貿易港としての発展の歴史が関わっているWeld Quay(ウェルドキー)。

その成り立ちに触れることで、港や埠頭、クランジェッティーなどがなぜここにあるのか?ということへの理解に繋がると思います。

以上、ペナンのWeld Quay(ウェルドキー)についての紹介でした!

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この記事を書いた人

海外在住歴10年以上。留学、海外インターンシップ、海外勤務で欧米やアジアなど数カ国に在住。
台湾在住を経て、現在はマレーシアでの生活をメインにしています。

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